<9月度>自分史教室私の 発表作品 = 地図から消された大久野島=

「地図から消された大久野島」を掲載します。お読みいただければ幸いです

 

地図から消された大久野島

大本芳子

二〇一七年三月、倉敷医療生協と日中友好協会倉敷支部共催で、「大久野島・戦争遺跡フィールドワーク」を行いました。
大久野島は、広島県竹原市忠海の沖合に浮かぶ周囲四キロメートル、椰子の木の美しい南国ムードあふれる、リゾートアイランドです。忠海港から船で十五分という交通の便のいい島で、島内には七〇〇羽ともいわれる野生のウサギが生息しています。このウサギとのふれあいがこの島の人気を、一層確かなものにしています。この日は平日にもかかわらず連絡船の発着場は、こどもづれの若い夫婦で賑わっていました。
この大久野島には、前述のリゾートアイランドという顔と、もう一つの顔があり、いま外国人観光客に静かなブームを呼んでいます。
それは、この大久野島が世界で初めてといわれる毒ガス資料館や、毒ガス貯蔵庫跡・砲台跡など歴史的な戦争遺跡があることです。
旧日本軍が一九二九年から十五年間、この島で毒ガスを製造し、戦争で多くの外国人を毒ガスで殺傷した加害の歴史を持った島であるということです。
当時、毒ガスは国際条約で使用が禁止されていましたが、日本はそれを無視し、この島で毒ガスを製造し、国際条約に違反して戦争に使用し、特に中国人を多く殺傷したのです。
毒ガス生産は、極秘で行われました。そのため大久野島で働いた人には、工員だけでなくすべての人に島で見たり、聞いたりしたことは、口外しないことが、厳命されていたそうで、その秘密を守るため、大久野島は地図からも消されていました。(一九三一年の地図には大久野島は存在していますが、一九三八年の地図からは消されています。)ひどい話です。資料館では、その証しとなる二つ地図が、ビホワアー&アフターという形で展示されていました。
私は今まで日本国内にある戦争と平和に関する記念館や資料館を数多く見てきましたが、日本が犯した戦争の加害のことに触れたものは、ありませんでした。
私たちが子や孫に戦争の悲惨さ、愚かさ、平和の尊さを語る時、被害・加害の両面を語ることがどんなに大切な事であるか。山内正之先生(「大久野島から平和と環境を考える会」代表・竹原市在住)のご講演とご案内いただいたフィールドワークがそれをしっかりと教えてくれました。とても有意義な「目から鱗」の旅でした。